外の天気が良すぎる件について

外がイイ天気過ぎて全く勉強に手がつかない。外はもう多分20度ぐらいあるんじゃないだろうか。日本で言うと多分5月ぐらいの陽気だと思うんだが、日光が随分きつくて、頭のてっぺんをぎらぎらとレンズで焼かれるような感触の日差しである。帽子無しで外でじっとしていると日射病にかかるんじゃないかと思うほどだ。

カナダに来て早5年目になるが、こういう日差しだけがやたらと強い日にでくわすとなんだか決まってそわそわして落ちつかなくなる。オンタリオの冬はやたらと長くて厳しいので、冬の間に抑鬱された感情が爆発するような感じなのかなとも考えてみたが、どうも違う。夏・恋の季節・わくわくドキドキの到来とか、そういうものとは至って正反対な、漠然とした不安に駆り立たれてしょうがないんである。
カナダの大学は4月に試験・5月から4ヶ月の夏休みに突入する。雪解けと同時に別れの季節が到来するのである。僕のような留学生はカナダに残ってサマーコースを取るもの・クニに帰ってそれぞれの休みを過ごすものに分かれ、またカナダ人たちも実家に戻り夏期のみの仕事を探すもの・「勉強に疲れた」と言って放浪の旅に出るもの・ぶらぶらするもの・本格的に仕事探しに移るものなどに分かれ、それぞれ思い思いの夏休みを過ごすことになる。僕も21歳の時の夏にサマーコースを取るためにカナダに残った一回を除いては、いつも日本に帰っていた。しかし5月に日本に帰っても、実家が田舎にあるため短期アルバイトの募集がほとんど無い。お盆前になってようやくお中元関連の仕事や、日本の大学生が実家に帰って来る用の1ヶ月ぐらいの仕事がぽつぽつと入ってくるくらいだ。家でただぶらぶらして金を稼いでいるわけではないため、遠距離に住む友達に会いに行くのもなんだか言い出せず(一番近くに住んでる友達でも往復で3000円の交通費は結構イタイ)、かと言って中学時代の友達はほとんど地元を離れているため、結果として僕は家でじっと自分と向き合う日々に移るのである。朝は意味無く早起きをし、犬を散歩に連れて行き、新聞を読み、テレビを見て、昼飯を食い、読みかけていた本を読み、気が向けば家事などを手伝い、夕ご飯を食べテレビを見、ネットを少しいじるともう1日が終わっている、という日々が延々と続く。毎日続く。最初の1週間はテレビなど全てが新鮮なためそれなりに楽しめるが、これが2ヶ月も続くと軽く鬱のようになり、人に会うのがなんだかおっくうになってくる。危険なサインである。

誰が悪いと言うわけでもなく、自らこうやって根無し草になる事を選んだ自分のせいなんだが、4月になると試験への不安とかエッセイの締め切りなんかよりも、「これが終わっても別に楽しいことが特にない」という絶望感に襲われてどうも日光を楽しめないんである。どうして僕はいつもこんなに不安なんだろうと考えてみるが、「結局はみんな同じなんだなあ」という慰めにしかならない結論で解決を先送りし、何かが起こるのをじっと待つのみ。田舎から海外に出てきた留学生の夏は、いつもなんだか憂鬱なんである。







注:今年は今いるWaterlooという街から更に田舎のWoodstockという街でインターンをやるので、日本に帰らないんですけどね。それでもなんだか憂鬱なんです。